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どうもこんにちは

やるんやで

お笑いについて

今日、大学のゼミでお笑いについて話したんですが、

思ったことと違うことで討論が進んじゃってモヤモヤしてたので

ここで発散したいと思います。

いや、ゼミの時に話せってことなんですけどね

 

 

ここ十年の有吉やマツコ・デラックスの台頭を

「見るからに下の存在(陰キャラ)だから笑える」

みたいなことを言ってたんですけど、ほんとにそうかと思ってました。

というか、そんな性格悪く見てるのかなと

自分はずっと社会学の「物語消費論」と「データベース消費論」の話を思い出してました。

そしてこの社会学の理論はお笑いにもそこそこ当てはまるとおもいます。

 

 

2000年代以前はいわゆる物語消費が幅を利かせてたと言われていたと思います。

これは漫才師やコント師にも言えることで、その時は

ネタ見せの時に面白い話術を披露出来れば、評価されるという時代だったと言えると思います。

人々はその漫才師やコント師人間性を見ることなく、見せられる作品を評価してました。その裏付けと言えるかわからないけど、昔の漫才師は仲が良くなく、お互いバラバラで集まり、舞台の上で初めて会うみたいな話をよく聞いたことがあります。

漫才師やコント師には話術のスキルが求められていました。

この流れが変わったのは90年代後半からだと思います。(これも社会学上での分岐点だったと記憶しています。エヴァンゲリオンの例など)

電波少年での猿岩石といった、漫才やコントではなくその人そのものが商品になる時代になったと言えると思います。

その時代はお笑い芸人は半分アイドルのような扱いを受けていました。写真集や音楽をリリースしていたのは記憶にあると思います。

この時代から、お笑い芸人にはキャラクターと人間性が求められるようになったと思います。

で、2000年代はまさにデータベース消費の時代だということが出来ると思います。

これは、大量に生まれ死んでいった「一発屋芸人」で説明できます。

人々は、話術ではなく芸人の「キャラクター」を求めるようになりました。その結果一目でわかる特徴が必要になったと思います。今でも生き残っているコンビは「キャラクター」が立っています。外見でもそれは分かると思います。バナナマンの日村、オードリーの春日などが分かりやすい例だと思います。東京エレキテル連合はあの化粧をしなかったら売れてないと思いますし、ラッスンゴレライもあのサングラスをしてなかったら売れてなかったと思います。小島よしおもそうです。

また、お笑い芸人にはそのキャラクターを裏付ける設定が必要になりました。言ってしまえば「異常な」設定が必要になったということが出来ると思います。人間として狂ってるのか、芸人として狂ってるのかは分かりませんがそのようなキャラ付けが必要になったと思います。

また、難しい事に人道的であることも求められるようになりました。これは、インターネットの発達により、我々個人が情報を発信できるようになった、簡単に言うと、炎上が可能になった影響が裏にあると思います。

 

よって、今のお笑い芸人に求められているのは

「キャラクター」が立っていて、「異常」だが「人道的」である

ことだと思います。

これに則って、今流行っている芸人を説明してみたいと思います。

カズレーサーは金髪、赤い服でキャラクターが立っていて、

面接でシャアの格好をしていく、男性も性的対象である

と、普通ではないが、

同志社大学出身であり、的を得たコメントも出来る

有吉は

一発屋芸人として闇も光も見てるというキャラクターがあり、

どんな人にも毒舌で率直な意見をいうという異常さがあり、

人々が日頃感じてることを述べてくれる

という具合です。

 

逆に売れてない芸人もこれで説明できると思います。

例えば、ジャルジャルは異常さが足りないと思います。和牛や

銀シャリがパッとしないのも異常さが足りないからだと思います。

千鳥が売れてきているのはノブのおかしさがフィーチャーされたからではないでしょうか。

 

勿論、これでは説明できない芸人も居ると思いますが、

結構いい線いってるのではないでしょうか。

ここで一つ保険をしておくと、上の異常さと人道的であることは相反する要素

だと思います。

これは難しいのですが、異常さは売れる要素で、人道的であることは売れ続ける要素であると思います。

バナナマンの設楽は異常さは少ないですが、人道的であるのでじわじわ売れたケースだと思います。

 

内村がこの時代に人気が出てきてるのが謎だとおっしゃっていましたが

それはこの人道的である要素が大変に大きいからだと思います。

既に知名度がある内村にとって売れる要素である異常さはもう必要ないのです。ウッチャンナンチャンは物語消費とデーターベース消費の潮目にうまい事乗ったコンビだということが出来ると思います。(お笑い第三世代は)

 

そうやって考えると、今のお笑い芸人に求められる事は大きいと思います。

「一目でわかるキャラクター」があり、「異常」であることと「普通」であること

が求められているのです。ビートたけしが「今のお笑いの方が昔のお笑いに比べて面白い」みたいなことを言っていた記憶があります(面白いと直接的に言っては無かったかもしれない)

これはまさしくそうだと思います。「話術」は勿論のこと数少ないチャンスを手にするために「ネタ」を練る必要があり、その上キャラクターや人間性、異常性を求められるのです。

 

お笑いの事を真剣に考えるのは楽しいです。70年代80年代は生きてないのでよくわかりませんが、90年代00年代10年代は身近なので考える始めるときりがありません。